粟飯原 雅胤さん

インタビュー見出し-01

寒川神社の三代目神主、粟飯原 雅胤 (あいはら まさたね)さん。神主として見守ってきた、寒川の地域について教えて頂きました。


□埋め立てが始まった頃のことを教えてください。
埋め立てが始まる頃って、二部制の大学を卒業して戻ってくる頃だね。当時は、神社からちょうど海岸がまっすぐ見えた。国道357号が出来る前は船溜まり的な形になっていたからね。
 陸には一車線出来ていたね。今の稲毛から寒川に来るとき、海岸線に向かってきている道路が下りの2車線ですよね。そのちょうど中央分離帯、あそこが波打ち際。コンクリートの柱が立ってて、波がバシャンバシャンってね。そっから先はずっともう2キロぐらい遠浅だった。
 海はね、ちょうど埋め立てが始まる頃だったもんだから、ドラム缶の間に落っこちて、溺れてから海が苦手になっちゃったんだよね。釣りはよく行ったんだけども。あの頃は、ハゼだとかサバだとか、いろんなものが釣れてましたね。知り合いのおじさんが釣り船なんかやってたから、土曜日曜になると「船空いてるから行くかー?」なんて声をかけてくれてね。船酔いはあんまりしなかったですね。船は今の小型の漁船をちょっと小さくした感じでしたね。

□お祭りに関して今と昔で変わったことはありますか。
お祭りってのは地域みんなが手伝ってくれたりしてさ。お宮のお祭り、お寺のお祭りは地域が一つになる行事なんですよ。でもね、今は社会人になっちゃうと帰ってきたいんだけど、会社が休ませてくれないとか。ちょうど8月ですから、盆の関係で休めなかったり。本当は、皆やっぱり帰ってきたいんでしょうけどね。
 昔は大人にならないと神輿に触らせてくれなかった。子供たちに「お前たちはガキだから太鼓叩いてろ」って言うと、今度はその子供たちが下の子たちに「太鼓引っ張ってろ」ってね。要するに仕事が一つずつあったんですよ。今は逆に大人が引っ張って子どもが叩くよね。また、今の子たちは興味が変わってきて、地元のお祭りから離れていってる。うちのお祭りを引っ張る人がいなくなっちゃうってのは確かですね。
 お祭りと言えば、太鼓にも特徴があって、皮は二枚張り。今のは一回り小さくなっている。当時は皮を破らないと祭りを終わりに出来なかった。ちょうど破れたときに叩いていた人は勲章だっていう考え方もあったんですよ。

□神主という仕事を長らくやっていらっしゃいますが、どのように感じていますか。
話を聞いていると、みんな悩みを持ってるんだなって、人の話を聞きながら自分が勉強させてもらっている感じですね。神社って、地域の悩み相談所の様な気もする。お宮に行って、話をしてくれば楽になる。あの人と話をすれば、なんか一つ気が晴れる。言いたいこと全部言ってもらって。あんたの言いたいこと全部言ってよって感じでね。年配の方たちも、私みたいな若輩者だって、やっぱり神に使えている人だという考えで、聞いてくれるんですね。神主さんが言っているんだから間違いないだろうって。
 お宮さんはね、地域に住む人たち全員氏子と考えているんですよ。いろんな宗教持っていたって、いろんな考え方持っていたって、来てもらえる人たちに来てもらう。宗教が違うからとか、そんなことおっしゃらずにどうぞってね。


神社と地域の強い繋がりを感じるお話でした。これからも心の拠り所として、地域を見守り続けていって頂きたいです。素敵なお話ありがとうございました。

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